Helevetica’s blog

小説、漫画、映画、音楽、洋服、ゲーム、バドミントンといった私が好きな趣味の話題をまとめたり、考えたりするエセ・ルポルタージュ(探訪)                             

二番煎じどころか、てめえ(私)は埒外だろ -『映画ヴァイオレットエヴァーガーデン』の感想:少佐と私たちの距離-

以前はカッコつけて「ダルマさんが転んだ」なんてタイトルつけて、なんなら、期待してくれとも書いたけど、改めて何を書こうかしら。

こういうブログって、たぶん、世界中に何億ともあるわけだから薄味な記事はほとんど読まれずに終わるんだろうなと、ふつふつ思う。いや、興味のそそるような記事であっても出合わなければ無いも同然だし、おそらく購読数の差はいかに戦略を立てるかになってくるのかな。

 

ん〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

そんなこんな色々考えていると何も手がつかなくなってしまう気がするから、これ以上は考えないようにしておく。

 

そうさな、今回は流行りの映画に関する話題でいいかな。

いきなりだが、最近巷では、とあるアニメの映画がたくさんの人々に見られている。

 

はて?それはなんじゃろか?

 

この時点で、皆さんはおそらく『鬼滅の刃:無限列車編』を考えたと思うが......どうだろう?けど、ごめんなさい。今回は違う、それじゃない(鈴木雅之のジャケ写のアレ、なんであんなに擦られてんの?)。僕が今回ご紹介したいのは、『鬼滅の刃』の陰に隠れて、ちょっと二番煎じ感が否めない『映画 ヴァイオレットエヴァーガーデン』だ(いや、それでもすごい集客数ですよ。本当に)。このアニメはもともとネットフリックスで配信されていたもので、その時から既に話題になっていた。それがついに映画化されるというのだから、みな期待せずにはいられないんじゃないか。そんな映画を先日見てきたのだが、色々と思うところがあったので今回このブログに記したいと思う。

じゃあ、早速、この映画について考えてみようか。

 

ん。。。。。ん。。。。。。。。。。。................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................えっと、、、いきなり出鼻くじくようで申し訳ないのですが...

 

 

ごめんなさい、内容忘れました。

 

.................は?

 

たぶん、ほとんどの方が今、いらつきを覚えたことだと思います。ホンマにすいません。いや、それもこれも理由があってですね。

あの、僕が映画を見たのがおよそ一ヶ月前でフレッシュな記憶がもう残ってないんです。

.................えっ?

................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................。。。。。。じゃあ、この記事は?

 

、、、、、じゃあ、

事前にネットであげた感想文を転載します。

 

.................は?

 

最近映画館で見た映画の話だとこれしかなかったんです。だから許してください、次からは真面目に考えるので、ホンマに。

 

.................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................。。。。。。

えっと、皆さんの許可がもらえたことなので早速、載っけようかな。............と思ったけど、その前に一言ことわったほうがいいかな。

 

結構、しっかりした感想文(文量だけ)だと思うんで少し根気がいるかもしんない(マジで、くだらないことたっくさん書いてあるから。映画の内容以外にも、僕の映画見るまでのバックボーンみたいなのがあるし、退屈になるかもしんない。まあ、それを語って初めて僕の感想の芯の部分が見えてくるから、仕方ないっちゃ、仕方ないんだけど...)。つまり、まとめサイトみたいな、要所要所伝えるようなものではなく、単純に地続きの文章が続くわけなんだけど、多分読んで途中めんどくなると思う。

だから、人生における余暇が有り余ってる人がよんで。それだけです。

 

(?いいいのか、それ?)

 

では。。。。。

 

 

『映画ヴァイオレットエヴァーガーデン』を見て

 2020年某日、映画ヴァイオレットエヴァーガーデンを見た。鑑賞してみて色々思うところがあったので文章にまとめたくここに記そうと思う。ここに書くことはどこにでもいるパンピーの一感想文であるので読者が目を通して違う意見を持ったとしても「コイツはこう言う風に思ってるんだなあ」と温かい目で見てもらえば幸いである。

今は映画を見た翌日でありちょうどお昼時でお腹もすいてきた所である。まあ、そんなことはさておき早速だが自分の思いを述べていきたい。今回の映画についての印象だが...............っと、そろそろ、食べようと思って作っていたパスタが茹で上がりそうなので少しお待ちいただきたい。

フぅ......たった今食べ終わった。

これまでの文を読んで「こいつホンマに感想述べる気あるんか」と不快に思われた方は大変申し訳ない。どうかここまで読み進めたのならブラウザバック(またはアプリケーションの場合なんて言うんだろう?)せず最後までご一読お願い頂きたい。パスタのくだりは肩を抜いてもらいたく適当に思いついて書いただけなのであしからず(パスタ自体はホンマに作ってました)。ではここまで堅苦しい、まるで国語の教科書にでものってる評論文じみたノリでお送りしてきたがここからは少々というかだいぶ砕けた調子になるので驚かずお紅茶でもすすりながら見いていただけらと思う。

あっそこのあなた!ブラウザバックしないで!

ほんならいきまっせ!

 さて、最初に何から話したものかと老体じみたセリフが今頭に浮かびましたが、とりあえず自分がこの映画を見るに至った経緯から話した方が私の感想の真核に近づけると思いますのでそこからスタートしたいと思います。
僕は初めこの映画を全くもって見る気は無かったのです。ヴァイオレットエヴァーガーデンとは皆さんもご存知の通り暁佳奈先生著の小説で、それがかの有名なアニメ制作会社である京都アニメーションでアニメ化されることが決定され2018年にネットフリックスで独占配信がなされた作品です。僕がこのアニメを見たのは翌年の2019年でウワサ通り涙腺爆発の物語でした。全十三話で語られる話なのですが(OVAを除く)一話一話がそりゃあ、まあ濃厚で濃厚でまるでグラナ・パダーノをふんだんに使ったカルボナーラのようでした(ぜってー伝わんねえだろうなぁ)。ここで各話を振り返って皆さんとあの話よかったですよねーと一緒に思い出を共有しても良いのですが今回の趣旨はそうではないので残念ですがやめようと思います。全ての話を見終わったこの俺は(サンシャイン池崎?)清々しい気持ちになり良い作品と巡り会えてよかったなあとしみじみとし、そして「ネットフリックスよ。制作費出してくれてありがとう」と思いました。

肝心の感想なのですが私的にはヴァイオレットの成長物語といった位置付けでよいのではないかなと。ヴァイオレットが心底慕っているギルベルト少佐(浪川さんの演技さすがやでぇ。さすなみさすなみ)を戦争で無くし路頭に迷う彼女。そんな彼女がたまたま御縁があって自動手記人形(ドール)という職業につき色とりどりの出会いと物語を繰り返す。そして、その邂逅につきヴァイオレットは自分の知らなかった沢山の感情と向き合うことになるのです。

多くの初めてを経験しギルベルト少佐との思いもほんの少しづつですが整理することができるようになり、過去だけにすがって少佐の後を追うだけではなく前を向いて前進することを選びとれるようになった彼女はすでに殺戮兵器などではなく人の心が理解できる一級の手紙屋さんになっていたのです。まあ、ごちゃごちゃした比喩なしにわかりやすくこの作品に対する僕の思いをまとめると、『ヴァイオレットが少佐に対する思いをちょっとずつ整理していって、ある程度のケリをつけていく成長ストーリー』ということです。以上がアニメ版ヴァイオレットエヴァーガーデンを見ての簡単な感想です。

では、本題の映画についてなんですが......ちょっと一悶着ありまして.........。これ故、僕は映画を見るのをやめようと決意したのです。
映画の発表がされ、さる公開日までウキウキと待っていた自分のなのですが、余計なリーク情報をある日ツイッターでネットサーフィンしてた時見つけてしまったのです。

 -少佐が「生きている」-

この噂を目にした途端冗談抜きで頭がパニックになりました。自分は原作を読んでいなかったのでアニメ版より先の出来事を知りませんでした。なのでネタバレ食らうようなことはしたくなかったのですがネットが各個人に普及している現代においてそれを回避するのは難しいことで自分が望まない情報が勝手に漂流してきます(そんなにネタバレ嫌だったらツイッターどころかネットも見なきゃいいじゃんと思われた方、僕にはそんな苦行ができません)。
では、種明かしを見てしまったから映画に行きたくないと思ったのかと問われると全くのノーでございます。さっきの話を水に流すようで申し訳ないのですが自分は正直言ってネタバレに対し強い反感を覚えるようなタイプではないのです。じゃあバッチコイなのかと言われるとそうでもなく、ただ見たとしても「あーやべー。みちまったよ」ぐらいにしか捉えないタイプなのです。
ほんなら、ほんなら何故映画を観たくなかったのという疑問に答えるならば「イメージにそぐわなかったから」が一番しっくりくる表現になりましょう。先ほど述べた通り僕のヴァイオレットエヴァーガーデンに対する感想は『成長物語』でございます。主人公である彼女は様々なことを経験する度に思いを馳せて心象をひとつずつ重ねていくのです。ではこの感想を抱いた者がギルベルト少佐が生きてるという噂を耳にしたらどうなるでしょうか。もう既にお気づきになられた読者の方もいらっしゃるでしょう。

『なぜ今まで積み重ねた物語(成長)を取り崩し台無しにするのか』

この一言に尽きるのです。まるで失敗したダルマ落としのように台を外され積み木が崩れ去っていく気分になったのでございます。
勘違いして欲しくないのは私は原作や脚本にダメ出しをしているわけではありません。「お、今更逃げ道用意してんじゃねーぞ」と思われた方もおそらくいらっしゃるでしょう。ですがこれは単純に好みの問題であるとわたくし(一人称安定しないな、おい)は思っております。エンディングをどのようにするかは物語を綴る人の自由で終わり方に良し悪しもないのです。『終わりよければ全て良し』などという言葉もございますが現実はそう上手くいかないものでハッピーからバッド、加えて中途半端なエンドもございます(わーい、いっぱいついてきてハッピーセットだぁ)。なので小説においても今までの話を総括するようなエンドをもってきたりとか伏線を回収するようなエンドを計画したりとわざわざ綺麗にする必要はないとわたくしは思っています。ですが、その部分を評価の対象とされるきらいがあるのもまた事実で皆さんもそれはよく肌で実感しているのはないのでしょうか。映画やドラマ、小説をエンターテイメントとして享受する人たちにとって(自分を含め)それらは娯楽ですのでやはりどこかで楽しみたいや感動したい、驚きたいといった感情を持っていると思うのです。そして言い方が悪いですが、そんな常識がはびこった世の中に私も毒された一人なのです。だから今回のような梯子はずしに体が違和感を感じたのも無理ないのではないでしょうか。逆にそう思われた方も一定数いるのではないかと考えます。え........いるよね?。そして万に一つどころか億に一つもないと思いますがもしそのような方がこの文を読んでいるならば一言いっておきたいことが。

-私同然おかされてますね笑-

ついでに、ついでに言っておくと台無しが意外な効果をもたらす時もあるのです。その例として故伊藤計劃氏が著した『虐殺器官』という小説が挙げられるのですがあれは見事な梯子外しなのではないかと。みんな最後はまとまって大団円........と期待させるのですがいやはや全くの逆のエンディングを見させられました。ですが、それが逆に妙な爽快感をわたくしにもたらしたのでございます。これ以上述べるとネタバレしかねないので伏せておきますがとりあえずそんな感想を抱いたというしだいです。

 少々というか大分脱線しましたので無理矢理にでも線路を繋げ直して映画ヴァイオレットエヴァーガーデンの話に戻したいと思います。先ほどまでわたくしが映画を見たくない理由をつらつらと語ってきたわけでございますがなぜいきなり映画を観るにいたったのかという疑問を持たれた方もいると思いますのでそこを最初に答えていきたいと思います。端的にに申し上げますと入場者特典目当てで妹から見てきてほしいとたのまれたからなのです。「は?くっだらねぇぇぇ」と思われても仕方のないことですが別に自分も映画を絶対見たくないというわけでもなかったのでこれを機に意を決して(は言い過ぎだな)見に行った次第ということでございます。入場者特典の内容はというと見に行かれた方ならご存知かと思われますが暁佳奈先生書き下ろしの短編小説でございます。そしてこの付録なのですが映画が公開されてから時間を経る度に内容が違うらしく、また同じ時期でも四種類のものが用意されていて、それがランダムに配られるのです(僕の場合は『ギルベルト・ブーゲンビリアと儚い夢』というものでした)。それ故に妹に頼まれたという経緯をもつのです。
ほんで、ほんで肝心の映画の内容についてはどうやったんや貴様と申されますと今までの話がないがしろになってしまうかもしれないのですが、もう普通に感動して泣きました。「なんやねん!」と今総ツッコミを入れられた気がしますが無視します。いやー相変わらずの暴力的な丁寧さでスレて見に行った僕をこの作品の持つ世界観に引っ張ってくるんですよね。最初は「見せてもらおうか、ガンダムの性能とやらを」ぐらいの気分で行って終わった後に心の中で「まだまだだね」と鼻で笑いながら越前リョーマばりのドヤ顏を繰り出したかったのですが終盤でポロポロと泣いて、しまいには鼻をすすってしまいました。僕が一番感動したシーンはユリスと家族、そして友達であるリュカとのお別れございます。家族系や友情系には弱い私ですので涙が溢れるのも必然なのですがそれをもう京都アニメーションが終盤に畳み掛けてくるのでもう許してくれという気持ちにまでなりました。多くの観客も泣いていましたし、なんなら一つ席を挟んで隣に座っていたお方のくそうるさかったポップコーンを食べる音さえ止まっていたので観客の心を掴んだのは間違い無いでしょう(まあ、私が見た映画館の中での話ですが)。

さてここからはさらに深く個人的に思ったことを二つ記したいと思います。
まず、この話の主人公のことです。え、モチのロンでヴァイオレットでしょ?と思われた方、まさしくそうなのですが僕が思うに今回の映画はギルベルト・ブーゲンビリアとのダブル主人公であると考えております。なんなら今回の目玉はギルベルトであり、ヴァイオレットの方はテレビ版で決着がついているのかと。映画を見て、みなさんギルベルトに対しどんな感情を抱いたでしょうか。色々な意見があると思いますがわたくしは「早くヴァイオレットに会いに行ってやれよ!このやろう!」と激情に駆られました。 どういうことか少し説明いたしますと物語の中盤でギルベルトはヴァイオレットに会うことができたのですがなんと彼は会えないと、もう彼女に自分は必要ないと言ったのです。まあ正味なところ、簡単に会ってしまって良かったねで終われば上映時間が半分になってしまうでしょうし、情緒もあったもんではありません。ではなぜ会いたくなかったのというと実は彼はヴァイオレットを兵器として扱ってしまったことに対する罪の意識をかかえていたのです。上辺では彼女を慕うような言動をしつつも戦争になれば殺しの道具として扱っている事実に彼は日々悩まされていたそうなのです。できるならば、殺伐とした世界から彼女を切り離し、花を愛で言葉を慈しむようなそんな世界に連れていきたかったそうで彼はそれが困難であることをわかりつつも現実と理想とのギャップに苦しんでいました。ですが、ですが僕はそんな彼に劇中イライラしました。ギルベルト、あんたの気持ちはよくわかると(劇場版を観る限りの範囲ですが)。だが、ヴァイオレットの気持ちを考えたことお前はあるんかと叫びたくなりました。テレビ版を見ている方なら言わずもがななのですが彼女は少佐に対する思いをずっと、ずーーーーっと持て余して嗚咽が出るほどの悩みをかかえていたのです。それを見たわたしたちはおそらくヴァイオレットの味方をせずにはいられないでしょう。そして、そのような考えをもったのはどうやら自分だけではなく、クラウディア・ホッジンズやディートフリート・ブーゲンビリアもお話の中でギルベルトを叱責しわたくしの感情を代弁してくれました。

-ギルベルトーーーーー!!そこに愛はあるんか!-

(いや彼女のことを考えて会っていなかった時点で既にあるんですけど....。ただ言いたかっただけです。ほんますいません。)

まあ兎にも角にもそのようなすれ違いがあったわけなのですが何故わたくしらはそのような苛立ちを覚えたのでしょうか(イライラした前提で話を進めていきたいと思います)。今になって特段掲げる話題ではないのですが映画が終わった後にふと考えてしまったのでちょっとばかし記したいと思います。テレビ版で私がギルベルトという人物にいだいた感想は「カッコよくて素敵な紳士」というものでした。それもそのはずで、テレビ版では基本ヴァイオレットの主観で物語が進められますので少佐に対する見方が必然的に子供がカッコいい大人をみるようなものになっていて、「男らしくない、なよなよしい」などと回想のシーンを見て思われた方はいないのではないかと。ですが、映画を見てどうでしょうか。わたくしはなんだこの「なよっちい男は!」と思わずにはいられませんでした(少なくともヴィジュアル面ではわたくしの100倍はカッコいいことに気づいておりますのでギルベルトファンの方、お気持ちを悪くしないでいただけると幸いです)。とりあえず、そんなことを思いつつも映画を見ていたのですが見進めていくと彼の本心が語られるシーンや過去のシーンが出てきました。そこにはヴァイオレットの偏見が絡むことのない等身大の彼の姿があったのです。カッコよくて頼れる大人の部分のギルベルトだけでなく、どうしようもないほど繊細で心動かされやすいただの少年であるギルベルトが描かれおり、この時は私は「ああなるほどな」と腑に落ちた気分になったのでございます。つまりはわたくしたちの彼に対する印象と彼自身が自分に抱くイメージには大きな乖離が存在したのです。誰しもが数回かそこらで他人を理解することができず勝手なイメージをもつのと同様、ギルベルトに対する急造なイメージを押し付けがましくも持っていたのでございます(まあ、そのようにアニメが作られてる思うので仕方のない部分ではありますが)。ですのでテレビからいだいた期待と違った分、映画で彼に対して苛立ちを覚えたのでございましょう。

最後にもう一つだけこの映画ヴァイオレット・エヴァーガーデンに対する感想を綴って終わりたいと思います。先ほども申し上げたのですがわたくしは小説の方を全く読んでおらずアニメーションの方でしか拝見しておりません。ですがこの作品からは詳細な部分までが映像を媒介としてありありと鮮明につたわってくるのです。通常、映画やアニメといった映像媒体の良いところはヴィジュアルで観客に訴えることできることなのです。その視覚をメインに理解させるという特性上、本のように言葉から世界を想像させ細部まで理解できるようなものとは相容れないもので両者の観客に対するアプローチは区別するものだとわたくしはおもっていました。ですが、この作品に関しては断じて違うと言い切れるでしょう。細かい設定がわかるわけでもなく、作者の考えた比喩がふんだんに乗っけられるわけでもないのに不思議と作品を細部まで理解した気持ちになれるのでございます。このサッパリとした清々しい感覚はなんと申せばよいのでしょうか。わたくしはそれを表す言葉を頭の中で探したのですが簡単に浮かぶことはなく少々悩みました。そして現在執筆中のこの感想文を一旦やめ、休憩がてら漫画を読もうと自分の本棚にに向かったのです。色々ある本の中から一冊取り出してたまたまその本についている帯を見たらピンと来る一言が載っていたのです。

-「解像度」-

この言葉こそがヴァイオレット・エヴァーガーデンという作品を語る上で欠かせない用語になるのではないかと思います。そして、その取り出した本の帯に記載された一言はこのようなもでした。

-「漫画業界の中で解像度という言葉があるが、この漫画を見てそれを思い知った」-

一字一句このセリフが間違っていないかと言われると怪しいところですが大体の趣旨は間違ってないと思われます。この解像度という言葉ですが最近でしたら皆さんも見たことがあるのではないかと。なぜならユーチューブやアマゾンプライム、ネットフリックスなどといった映像配信プラットフォームで動画を見る時私たちは画像のきめ細やかさである画質を気にされると思うのですがその画質こそが解像度と呼ばれるものだからです(専門的な知識からくる齟齬は無視してね)。この言葉の意味するところは細やかさであると今の記述から伺えると思うのですが、どうやら帯のセリフを読むとそれだけがこの言葉の持つ意味合いではなさそうです。ではその正体とは一体なんなのかと申されますと正直にいってしまいます。

     -わかりません-

またもや「ハァァァァァ!?ここまで読んでおいてそりゃねえだろ、おたんこなす!」と総ツッコミをされたことでしょう。ですがわたくしめには説明が難しいのでございます。パンピーの物書きだからなのかただ単にアホなだけなのかは知りませんがうまく読者に伝えられる自信がございません。ただ、ただ一言申し上げるのならば「世界観に飲み込まれるような感覚」であることは間違いなく、無理にでもその作品に集中させられてしまうのです。おそらくそのような感覚をいだいた作品がみなさんもいくつかあると思われますが解像度という言葉がしっくりくるのではないのでしょうか。

以上が私の映画ヴァイオレット・エヴァーガーデンに抱いた感想でございます。最後にここまであれこれ考えられる作品を作ってくれた著者と製作者の皆々様、そしてここまで読んでくれた読者の皆様(ホンマにいるか?)本当にありがとうございました。ではまたどこかでお会いできる日をたのしみにしております(言いたいだけです)。

-あー早く本屋行って小説全部買っChao!-